配列の習得について考えてみた。
配列の習得について、私なりに考察をしてみようと思う。
タイピング再考。
キーボードの配列を変更したことのある人なら一度は経験があるであろう"配列が混ざる"現象。
これを少し掘り下げて考えてみよう。
タイピングの習得の順番は以下の流れだと私は思っている。
-
- 配列の概要を理解する。
配列の概要を理解すれば、配置の記憶定着に一役買うはず。その方が楽しいし。論理記憶。 - キーマップを記憶する。
これは、単純記憶もしくは、論理記憶。 - 運動記憶化する。
練習練習!指に染み込ませる。 - 高速打鍵化する。
習熟。この頃には、考えなくても条件反射で打てる。はず。
- 配列の概要を理解する。
この流れは、スポーツのフォームを覚えるのと一緒だと思う。
論理的な記憶はフォームの最適化にも一役買うよね。
しかし、タイピングに関して言えば、通常のスポーツと違うところがある。
タイピングは、言語と密接に結びついている?
"書く"という行為の代替であるので当然といえば当然である。
英語の参考書に、"単語耳"なるものがあるのを皆さんはご存知だろうか。
その中に、発音の曖昧な単語は記憶に定着しにくいという話がある。
逆に発音さえバッチリにしてしまえば、どんどん単語を吸収出来るし、リスニングも出来るようになる。
また、派生単語については論理的に記憶してしまえば一度に複数の単語を習得することが可能である。と。
言語についてもう少し。
あ、ちなみに私は言語学や音声学に精通している訳ではありません。ていうか、分かってません。
いままで、見聞きしたことから類推しているだけですので、怪しいと思ったら、調べて下さい。
人間は、会話をするとき声を用いますが、
発声を伴わない言語処理、つまり、脳内での考え事、文字を読む時に関しても脳内では音として再生(?)しています。
ネットで引けばすぐにそれらしい文章に行き当たりますが、発声を伴うにしろ、伴わないにしろ、"言語音"を駆使しているわけです。
余談ですが、感情やら事象やらに言葉を割り当てることにより人間は違いを認識・区別出来ていて、進化・深化してきたのではないでしょうか。
さらに、"音"の組み合わせから、"音節"を作りだし、さらにそれらで単語・文章を形勢する訳ですよね。
で、何が言いたいのか。
音節を意識する事と、指に配列を記憶させる事。
似ているっていうか、感覚的には同じなんじゃね?って事。
多分、n-gramを意識して配列を組む事も。
配列の設計って、キーの配置の考察である、のはだれでも知っている(思っている?)こと。
でも、
この前段階に、"音と文字を対応させ関連付けた"という偉大な歴史があるというのは忘れてはいけない。
ともすれば、
"キーに文字を対応させ関連付けて、配置する"というのが配列設計となろうか。
つまりだ。
この単語はこう打つ、この音節はこう打つというのは、
この単語はこう発音する、この音節はこう発音する、と同義ではないのか。
複数のキーボード配列を習得すること。
可能、不可能で言えば可能である。
事実、複数の配列を使い分けているという人は掲示板やらtwitterやらを探せば何人かを見つけることができよう。
しかし、複数配列は"混ざる"という内容も見る。
さて、そろそろ話をまとめよう。
英語入力、日本語入力は問題なく使い分けられるのに、
英字配列同士(qweとdvoとか)、かな配列同士(JISかなとNICOLAとか)、の組み合わせが"混ざる"のは、
"言語が一緒で最終的な表現方法が一緒"なのに、"打鍵方法が違う"という所に問題があるんではないか。
つまり、同じ音なのに、発声方法が違うみたいな。
さて、ここで私は先ほどの話を持ち出す。
中国語覚えたてとか、英語覚えたての頃って、似た音を聞き分けられないから混乱するよね。
rとlなんかは、嫌な思いで多い人も多いかも。
中国語の母音とか、ドイツ語の母音とか、なれてない日本人には辛いよね。
この時、初心者にはほぼ同じ音に聞こえているから、聞き取れないし、言い分けられない。
"同じ音だけど別手段"である時、明確に選択するにはそれなりの理由が必要である。
ここに、キーボード配列の複数習得に関する重要事項が隠れてやしないか?
というのが、今回の記事を書き始めた動機。
で?
この説が正しければ、
使用する配列を明確に脳内で意識・選択出来れば、複数配列の習得が出来るという事になる。んー…苦笑
って、当たり前の結論になりましたね。。。残念。
まずは、複数のキーマップを瞬時に頭のなかで切り替える練習からかな?
他の配列における運指を入力時の選択肢からすべて切り捨てられれば、完璧。
この時、運動記憶すら制御しないといけないというのが一番の難点。
はっ...配列の書き取りドリルが有功か?!